『最高糖度をきみに』 詠井晴佳
夏への感傷や憧憬を甘く煮詰めたような物語。
夏には、どこか郷愁に似た感情がつきまとう。
夏が来る前に読むことができて良かった。
今年の夏もまた、理想をとても越えられそうにない。
あらすじ
近未来、幸福度が数値化された社会。不幸な少年少女の前にだけ現れるホログラムの少女「みあめ」と過ごしたひと夏の記憶を胸に、主人公・安藤怜は21歳になっても満たされない日々を生きていた。中学時代のトラウマを抱え、社会にも馴染めない彼の前に、二度と現れないはずのみあめが成長した姿で再び現れる。
なぜ自分の前にだけ彼女は現れたのか――過去と現在が交錯する中で、ふたりは再び関係を重ねていく。しかし、触れることもできない虚構の存在との結びつきは、共依存にも似た甘さと危うさを孕んでいた。
個人の意思が尊重されるはずの社会の中で、それすら叶わない現実と向き合いながら、怜は選択を迫られる。ひと夏のきらめきへの憧憬と喪失、そして現実をどう生きるかという問いを、静かな余韻とともに残す青春SF小説。
思い焦がれても手の届かない夏
主人公の怜がかつてみあめと過ごした夏に思いめぐらせては、現実とのギャップに打ちのめされていく様がとても印象に残った。
私自身、怜が過ごしたような100%の夏の思い出はないけれど、夏が来る度に感じる欠落感や寂寥感が見事に描かれていた。
フィクションの影響なのか、かつて過ごした夏休みの影響なのか、「夏はこうあるべき」という漠然としたイメージはあるものの、いつまで経っても理想の夏にはたどり着けずにいる。
この小説の中でも、特に胸に強く残った表現がある。
ふっと、夏の匂いがして、泣きそうになった。
今年も夏が始まるのに、あれから何十もの夏が巡ったというのに、何一つ変われない僕が、貧相な肉体が、頭が、ぜんぶ。
息を吐く。初夏が濁っていく。
どうせどこにも行けないのに、それでも僕の肉体は季節を少しずつ汚して、世界を少しずつ消費していく。
夏休み前に「今年こそは楽しい夏にする!」と意気込むものの、夏休み終盤になって無為に消費してしまったことに少し絶望する感じ。ちょっぴり寂しくて、抱く感傷は仄かに甘い。
それぞれ、色んな夏の思い出があって、夏が来るたび折に触れては思い出し、もうその夏は二度と訪れないことを感じては少し悲しくなる。
これから先きっといくつも夏を迎えるのに、私の中の夏の原風景をひっくり返すような体験は二度と無いだろうなという気がしている。
小学生の夏休み、朝食を食べたあとに二度寝をし、誰もいない家の中で暑さでひとり目を覚まし、暇だなとぼんやり思いながらルールの分からない甲子園中継を観る夏。
きっともう二度と戻らない。
あなたの夏の原風景は何ですか? もう二度と出会えないものですか?
みあめと怜の関係
みあめと再会を果たし、少年時代の頃と同じような充実した時を過ごし、鈍色だった生活が少しずつ鮮やかになる怜。
みあめと会話をすることはできるものの、実際に触れることはできず、人間のようにふるまうAIなのか、本当に人格を有しているか定かではない。
時に周囲から好奇の目を向けられながらも、みあめとの関係に陶酔していく。
怜がみあめに対する感情を恋と認識するまでの過程がとても良かった。
みあめの前では素でいられること、馴染めない社会のことを考えなくて済むこと。
色んな責任も関係も投げ出す時の甘さと、恋愛感情の甘さを一緒くたにしていく危うさが、丁寧に描かれていて胸に迫るものがあった。
怜のことを気遣う周囲の人間も、みあめにのめり込まないようそっと助言をするのだけれど、その助言を受け止めつつもみあめと過ごすという怜の選択に崇高さすら感じた。
私が怜の知人だったとしても、きっと同じように”現実的な”助言をしていたと思う。
私だったら現実的な課題に直面してきっと歩みを止めてしまう。
だからこそ怜の行動は完全に共感し難いものではあったものの、とても眩しくみえた。
そうして理想の夏には届かないと分かっていても、それでもまた夏を待ってしまう。
この物語に触れたことで、その理想に少しだけ近づけた気がしてしまう。
以下、ネタバレ感想です。物語の結末に触れています。
未読の方はご注意ください。
ネタバレ感想(クリック、タップで表示)
結末、最高だった……。
みあめと別れた後、怜が社会生活に馴染むことができたと思ったのも束の間。
みあめのアバターの残滓と出会ってしまい、きまぐれに徘徊するみあめのアバターとともに歩むことを選んで、急に勤め先から失踪してしまう。
みあめとの思い出を引きずり続ける怜の姿、本当に胸に刺さる……。
極々個人的な信条として、登場人物には愛とか恋とか掲げた理想に殉じていてほしくて、簡単に綺麗な思い出として消費してほしくなかったので、どんぴしゃな結末だった。
俗に言うメリーバッドエンドで、怜が選んだ幸せは社会的に見れば歪んでいる。
それでも、過去の夏の思い出と理想に身を捧げるその姿はどうしようもなく眩しくて。
改めて今年の夏もまた、理想をとても越えられそうにない。

