『古典確率では説明できない双子の相関やそれに関わる現象』 東堂杏子
私のすきな作家、紅玉いづきさんが当作品の著者である東堂杏子さんを激推ししていたのをきっかけに。
あらすじ
男女の双子、二十歳の大学生・勇魚と真魚。
それぞれが壮絶な人間関係に呑まれ、捨て鉢な日々を過ごしている。
打ちのめされ、もがきながら、誰かと関わることでしか、自分を保つことができない。
彼らの前にある現実は重く、100点満点のハッピーエンドは望めない。
それでも、差し伸べられた手だけが、確かな重みを持っていて――。
くらがりに針のようなる光は射して
冒頭のあるシーンが印象に残っている。
親友に恋人を奪われた勇魚がふいに午前四時半にご飯を炊き始め、その様を自嘲気味にSNSにアップロードする場面。
やりきれない閉塞感を胸いっぱいに溜め込んで、少しずつ"健全な"生活から逸れていく様子がとても生々しいと感じた。
この冒頭のシーンだけでなく、主人公の双子が互いに悟られないようにしがらも自暴自棄になっていく様にとても胸がしめつけられる。
真魚も、最愛の人の裏切りという壮絶な現実に直面し、自身の心身を削りながらも、最愛の相手に振り向いてもらおうともがき苦しむ。
「不幸」という言葉も「希死念慮」という言葉も、それだけでは心情を語るには足りなくて、生活や心身をすり減らすことでしか自身の苦しみを再現できない。
ただ冒頭のシーンには続きがあり、SNS投稿を見た妹の真魚から、勇魚を気遣う電話がかかる。
お互い違う街に暮らし、自傷にも似た荒んだ生活を悟られまいと気丈にふるまいながらも、昔と変わらぬやり取りに、勇魚は少しだけ救われていく。
まったく異なる状況に置かれながらも、双子による互いのやり取りや、少し奇妙な周囲の人間との関わりによって、勇魚と真魚の生活が少しずつ輪郭を取り戻していく様子があたたかい。
時にふたりの周りに善良な大人は誰もいないのではないかと思えるほどに、待ち受ける現実は重苦しい。
それでも双子が交わす軽快な会話に、読んでいる私の気持ちも少しだけ軽くなる。
勇魚と真魚がそれぞれどんな状況に置かれても、相手には悟られないよう、互いにとっては支えであろうとし続ける姿勢は眩しい。
この作品が迎える結末は、勧善懲悪のような諸手を上げて喜ぶようなハッピーエンドではないかもしれない。
それでも、勇魚と真魚の生活はこれからも続いていくのだという確かな足取りを感じられた。
決して大きな一歩でなくとも、その歩幅に背中を押されるように、私もまた少しだけ晴れやかな気持ちになれた。
見出しの「くらがりに針のようなる光は射して」は私のすきな短歌の一節より。
こんなにも人が好きだよ くらがりに針のようなる光は射して
中澤系

